WABI-SABI ~ Stains of Time / 時の痕跡

ふくしひとみという存在

SNSで「ふくしひとみ」を初めて見たとき、強い衝撃を受けた。たぬきのメイク、着ぐるみ、東北訛りのラップ。何よりも印象的だったのは、その圧倒的な目力だ。

まるで大自然で野生の動物と出会ったときに向けられる、あの彼らの鋭い視線。彼女からも「表現者としてこの世界で生き抜く」という強い意志が、その目から同じように伝わってきた。

演奏会では、精霊や妖怪が降臨しそうな異界の空間のなか、彼女自身が化け猫やふくろう、たぬき、ネクロマンサーと様々な人格に変化しながら、楽器と身体、動くぬいぐるみと演奏する。混沌の世界なのだが、驚くほどその世界は「ふくしひとみの世界」として清く正しく成立している。

演奏での表情は能面のように神秘的で、感情の機微を繊細かつダイナミックに表現する姿は、現代の巫(かんなぎ)のようにも映る。ひょんなことで、魑魅魍魎が住む異世界に迷い込んでしまい、観てはいけないものを見てしまったような感覚。まるで、お伽話か昔話かのように、観る者の心に謎めいた余韻を残す。

記憶とペーソスの交錯

彼女の楽曲には、キャラクターと自身の記憶が織り込まれ、その奥底には、日常の中で言葉にしがたいペーソスが漂っている。愛情に潜む嫉妬、笑顔の裏の寂しさ、懐かしさに滲む喪失感—— 喜びと切なさが交錯する、繊細な感情が幾重にも折り重なっている。

真正面から己と向き合い、媚びも妥協もなく表現を追求する姿勢が、作品を純度の高いものへと結晶化させ、観る者の心を深く揺さぶる。同時に記憶が共鳴して、心の奥底にある「しみ」を炙り出されるようだ。

そんな彼女を撮影のモデルに迎えることは、25AWコレクションにとって必然だった。世阿弥というイメージを拠り所にした今回のコレクションを体現できるのは、彼女しかいない、と勝手に決めていた。

同じ岩手出身という背景もあり、言葉を交わさずとも通じるものがあると感じた。受けてくれるかどうか、不安がなかったといえば嘘になるが、きっと大丈夫という不思議な確信もあった。快諾の知らせを受けた瞬間、期待と緊張がないまぜになったのを今でも覚えている。

撮影という儀式

撮影場所となった冬の光明院は、凛とした空気に包まれていた。葉を落とした木々が庭に影を落とし、白砂の枯山水は静けさを、仏を象る三尊石組は冷たさを際立たせる。

苔は溶けた霜を帯び、雲の狭間から差し込む陽の光が、白砂に儚い影を落とす。本堂の縁側に立つと、枯れた枝の向こうに蘿月庵が佇み、東の空に月の気配を映していた。

「雲は嶺上に生ぜず、月は波心に落つる」——

庭園を眼下に臨む蘿月庵は、この禅語を由来とし、雲は心の煩悩を、月は悟りの光を指すとのこと。目に映るものがすべてではなく、真実は心の内にこそ宿るとも考えられる。

今回のキーワードになっている、世阿弥の『秘すれば花』の思想とも響き合い、「すべてを明らかにせず、余白や間の中に美しさが宿る」 という考え方と深いところで通ずるように思う。なにかが始まる前には、必ず見えざる示唆があるものだ。

本尊には、金造佛の釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)が鎮座している。「沈黙する者」を意味するその存在が、空間全体を心地よい静寂で包んでいた。釈迦が見守る中、撮影が始まる。

彼女の舞が、静寂を切り裂くことなく、そこに溶け込むように始まった。あるポーズへと向かう瞬間、間と余白の中に漂う気配。

その場にいた全員が息を呑み、ただ見つめていた。どこにいるのか、何を見ているのか、すべてが曖昧になり、時が止まったような感覚が広がる。

衣服を象る布は、それぞれに「記憶」と「再生」を宿し、重なりの中に「余白」を生み出す。そして時間とともに変化し、未完成のまま美しさを深めていく。

それらもまた、世阿弥の思想と共鳴し、変化し続けるものこそが本質を持つことを教えてくれる。

彼女は布に刻まれた記憶を感じ取り、静かに、しかし力強く踊る。

布が風を切る音。すり足が畳を擦る音。

その舞は、新たな生命を吹き込む儀式のようでもあり、鎮魂の舞のようでもあった。

布に刻まれた過去の記憶が、舞の動きとともに呼び起こされ、交じり合い、静かに息を吹き返すようだった。

記憶を織り、時間を纏う

今回のテーマは 「WABI-SABI ~ Stains of Time / 時の痕跡」。TOKIARIという名前にもあるように、時間というものがブランドの骨子にある。私にとって、「時間と記憶」は重要なテーマだ。

それは、時間と記憶が折り重なり、ひとつの布を織るようでもある。一歩引いて眺めれば、全体の構図や流れが見え、調和のとれた像が浮かび上がる。

しかし、近づいてみると、織り目の揺らぎや質感が際立ち、細部のディテールがより鮮明に映る。距離によってその意味は変わり、どこから見るかで、その世界の印象も異なってくる。

今回の撮影は、こうした立体的な奥行きを見せたいという狙いがあった。引きのシルエットから始まり、細部のディテールである襟やポケットのジビエレザーと裂き織、袖下のスリット、ステッチ、、、それらの存在と意味をしっかりと伝えたかった。

これは、前回のコレクション「美は細部に宿る」からの流れでもある。彼女の舞は、私の願いを完全に理解して表現してくれた。

そして、いつもメンズモデルを務めてもらっている元哉君の存在も大きい。彼の憂いを秘めた瞳と静かな佇まいはとても絵になる。ふくしさんが動、彼は静の役割を引き受けて、二人でこの世界を作ってくれた。

彼から、「僕は何をすればいいですか」といつも問われるのだが、「君は立っているだけでいい」と私はいつも同じことを伝える。静謐でありながら、内に秘めた意志の強さと存在感があるのだ。

後日、ふくしさん曰く「彼はJOJOのスタンドのようで心強かった」と彼を評していた。

東日本大震災を経験したとき、私の中に一つの問いが生まれた。

黒い海がすべてを呑み込み、街は沈黙した。残骸が無秩序に積み重なり、そこにあったはずの温もりも、確かに存在していた風景も、一瞬で崩れ去った。

人の感情、命の儚さ、そして人間が作ったものの脆さ。目の前に広がる光景は、ただ諸行無常という言葉を突きつけるようだった。

何ができるのか。何を残せるのか。 ただ立ちすくむことしかできなかったあの日、その問いは今も私の中にある。しかし、時が経つにつれ、それは少しずつ形を変え、服作りへと繋がっていった。

形あるものはやがて朽ちる。だが、布を織り、裁ち、縫い、思いを込めて手を動かすことで、時間の層を刻むことはできる。

人が生きた証、繋がれた記憶、それらを内包する衣服が、誰かに寄り添い、新たな時間を紡いでいくのではないか。壊れるものの儚さを知ったからこそ、私は「時間を纏う衣服」に、過去と現在をつなぐ役割を託したい。

服を作ることは、単なるデザインではなく、時間と記憶を編み込む行為なのだ。

服は、ひとつのデザインから生まれるものではない。大地に根ざした自然の恵み、動物たちの命、多くの人の手を経て、一枚の布となる。

織り込まれた糸の一本一本には、数えきれないほどの多くの時間と労力が積み重なっている。そうして生まれた布に、私は自身の記憶や想いを重ね、物語を見立てる。布は新たな意味を持ち、やがて服となり、纏う人へと渡る。

そしてまた、新しい記憶が刻まれ、時間のバトンが受け継がれていく。

服は、過去と未来をつなぐ大きなサイクルの中にある。人の手を通じ、想いが蓄積されることで、単なる衣服を超えた存在になりえる。

天然素材に宿る自然の恵み、手仕事の温もりを感じさせる裂き織り、ジビエレザーに刻まれた命の痕跡。それらが織りなす布は、ただの布ではなく、時間の積み重なりを抱えながら生まれる。

古来、人は革を纏い、魔除けとして猪目を刻み、護符のように祈りを込めた。衣服は単なる防具ではなく、生命を守り、力を授ける存在であった。

現代においても、その本質は変わらない。素材に刻まれた歴史と時間を纏うことで、一着の服は纏う人の記憶とともに育まれる。

その服は、あなたを守護し、鼓舞し続ける存在となる。
あなたの側で、悲喜交々の思い出を作りながら共に歩んで欲しい。
私は、そう信じ、願い、服をつくっている。

中村憲一


Credits:
Model & Performance: Hitomi Fukushi
Management: Inuichi
Model: Motoya Chono
Photography: Akira Takahashi, Masaki Nakano
Hair & Makeup: Madoka Mimbuda
Pattern & Making: Chika Kitamura, Masaki Nakano
Production & Styling: Kenichi Nakamura
Location Provided by: Komyo-in



この特別な時間を共に創り上げてくださった光明院様、関わってくださった皆さま、そして支えてくれたスタッフに、心より感謝申し上げます。
この場をお借りし、改めて深く御礼申し上げます。


画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: %E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88-2025-02-24-12.44.19-1024x363.png

RECOMMENDED ARTICLES

おすすめ記事