嘆くに時があり
踊るに時がある

昨年のとある初夏の夜、京都の街を歩いていた。
仕事が思うように運ばず鬱々とした私を、心配した友人が気分転換にと夜の散歩に連れ出してくれたのだ。

下鴨のアトリエから鬱蒼とした糺の森を抜け平安神宮へ。そこから南へ下り川沿いの白川通りを歩く。さらさらと川の音が聞こえる。ほどなくすると神谷稲荷社がみえてくる。堀池橋の電信柱の灯が、闇の中でぼうっと白く発光している。妖怪が佇んでいそうな雰囲気だ。

「ここ、小松菜奈ちゃんの映画で出てきた場所だよ」
「コマツナナちゃん?」
「見ればわかるよ」

そんな会話をしながら闇のなかの川を覗き込む。その夜は新月だったか、暗闇で蛍光灯の青白い光が水面に反射し波打ちている。空を見上げると漆黒の緞帳が垂れこめてくるようだ。 星が煌めき踊るようにドレープの波を作る。

この帷の向こうがわに眩く輝くような世界があるのかもしれない。今ここに立つ世界は神が仕掛けた舞台で、私たちはそれぞれ思い思いに演じる役者なのかもしれない。物の怪に化かされたのか、そんなことをふと思う。

夜空の帷のように、自分の羽織っているシャツの布がこの世界と自分の境界を作っている。布の向こう側では風が吹き、布のこちら側は心臓が脈打ち、肌が呼吸している。私は生きている。

風がぼうっと吹き我にかえる。ふと、悩んでいるのが馬鹿らしくなった。まだ何者にもなれず、役もなく、演じきれていないからか。夜風に冷やされたからか。

風よ、もっと強く吹け。自分の感情なんか関係なく、服よ、ゆらゆらとダンスしてくれ。のれない私の手を引っ張って踊らせておくれ。踊る阿呆に見る阿呆。おなじ阿呆なら踊らにゃ損損。きっと、この世は気まぐれな神の舞台なのだから。

「あ、コマツナナちゃん、思い出した」
「たぶん、それ正解」


今季の「トバリ」というシャツは、そんな記憶から産まれた。
悲しい時は、抱きしめるように。
嬉しい時は、一緒に喜びのダンスを。
このシャツと踊ろう。



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